5.3 ヒトを特別なチンパンジーたらしめるもの
https://gyazo.com/68191fb0ef6228bb11f91bad178bccdb
https://amzn.to/2IXdFFN
長谷川寿一(Toshikazu Hasegawa)
日本の進化心理学の創立者の一人
行動生態学と進化心理学の研究
研究
行動生態学の領域
交尾行動、社会的相互作用、コミュニケーション、養育行動、親子の間のコンフリクト、動物の知覚と認知
進化心理学の領域
リスク関連の意思決定とその神経的・内分泌的基盤、脳波や唾液ホルモン分析を用いた(薬物などの)依存的行動の生理学研究、顔の魅力度、繁殖戦略の個体差、推論(4枚カード問題)、殺人など
発達心理学の領域
知覚や注意、記憶、言語とその社会性の発達に興味
具体的には養育行動の発達や、心の理論、社会性と内的認知能力の発達、数の認知、コンフリクトの後の和解行動など
現在彼が興味を持つ課題には、ヒトとチンパンジーのライフヒストリー(生活史)や繁殖戦略、クジャクの性淘汰と配偶者選択、アジアゾウの認知と行動生態学的研究、飼育下チンパンジーの行動と内分泌の研究、自閉スペクトラム症児の認知研究など
2003年に、Cognition誌に発表した論文では、アイコンタクトは自閉症児の気づきの能力を向上させられないことが発表されている
また、視線に関する認知研究、例えば注視による空間的注意の捕捉についての研究も行っている
その他にも、共同研究者とともに乳幼児の認知能力についての研究を行い、特に乳幼児の、複数の感覚モダリティからの数字情報に対する認知に着目している
例えば、2004年の研究では、期待背反法を用いて、5ヶ月の乳児が複数の感覚モダリティ(視覚と聴覚)をまたいだ足し算ができることを証明した
さらに、2005年の研究では、5~6ヶ月の乳児は、異なる感覚モダリティ(視覚や聴覚)からの数字情報を区別し、見ている物の数と音声を結びつけることが明らかになった
この他には、1989~2005年に、他の研究者と共同で計6冊の学術書をかきあげているが、それらにはヒト以外の霊長類に見られる子殺し現象、新規参入者と群れのメスチンパンジーの性行動などが含まれる
私はこれまで行動学(エソロジー)と動物認知を基盤に、進化人類学と進化心理学の研究を進めてきた
研究上の興味は大きく4つの領域にわけることができる
ヒトを含む霊長類と鳥類の配偶システム、特に配偶者選択について
配偶行動に関する研究は、ニホンザル、チンパンジー、ヒト、そしてインドクジャクにおける乱婚とレック型一夫多妻配偶システムについて長期のフィールド研究に拠っている
また性ホルモンと行動の関連にも関心を寄せている
動物の認知
オマキザルの色覚、ゾウの数認知、イヌのパーソナリティの遺伝的基盤についての研究
自閉症児の社会的認知
主に視線追従やあくびの伝染といった社会的認知についてのもの
ヒトとチンパンジーの配偶システム、生活史、そして社会的認知の比較研究
近年は主として文献のレビューに拠っているが、チンパンジーのERP(Event Related Potential: 事象関連電位)研究にも取り組んでいる
進化心理学に関して強調しておきたいことの一つは、ヒトと他の種との比較研究の重要性
とりわけ、ヒトとチンパンジーの類似性と違いついて明らかにすることは、ヒト進化を理解する上で大きな意味を持つ
「ヒトは生物学的にみて、第三のチンパンジーである。しかしヒトは特別なチンパンジーである」
遺伝的に、ヒトはチンパンジーとわずか1.23%しか違わない
チンパンジーにとって最も近縁なのは、ゴリラではなくヒト
系統学的にはチンパンジー・ヒト系統にともに属するにもかかわらず、何が我々を特別なチンパンジーたらしめているのか
進化心理学を研究・教育する経験から得た教訓
30年前に、長谷川眞理子と私は、タンザニアのマハレに住むチンパンジーのフィールド研究に3年間参加した
それ以前に研究していたニホンザルと比べて、チンパンジーはずっと複雑な行動を見せ、何よりも彼らはとても人間臭かった
チンパンジー・ヒト系統群にだけ見られ、ゴリラやオランウータンといった他の大型類人猿には見られない特徴が何かを考えてみよう
現生霊長類の中で肉食の習慣を持つのはヒトとチンパンジーだけ
この2種だけが集団で狩りをし、獲物を分け合う
この2種のオスだけが戦闘集団を作る
時には縄張りをめぐる争いから互いに殺し合うことさえある(これらはボノボでも見られる)
チンパンジーのオスはときに政治を行うが、これはまさにわれわれ自身も行うこと
これらの特徴をもたらした淘汰圧が何であったのか、多くの仮説が提唱されているが、私は森林生活への適応ではなかったかと考えている
森林地には多くの捕食者がいる
くわえて森に分け入るほどに、果実などの食料資源はどんどん少なくなっていく
それゆえ、対捕食者戦略と縄張り防衛戦略のいずれか、または両方のためにオス同士による集団が進化したのではないか
同様に、栄養供給の新たな手段として肉食が進化したのではないか
ヒトをチンパンジー(または他の類人猿)から区別する生態学的な特徴は何か
第一に、ヒトの女性の結びつきの強さを挙げることができる
チンパンジーも一見すると群れで生活しているように見えるが、実際には、彼らの社会は集合離散の繰り返し
特にメスは、果実が豊富にあるのでもない限り、多くの時間を(子供と一緒のときは別として)単独で生活する
メスチンパンジーが互いに絆を作ることはまれであると言える
また、果実食傾向の強いオランウータンは、オスもメスも単独生活
対照的に、狩猟採集社会に暮らすヒトの女性は、果実やナッツ、根茎の採集にグループででかけ、集めた食料を一緒に下ごしらえし、調理し、そしてともに食べる
類人猿が(主として果実を)個食するのに対して、ヒトだけが食料を集めて公共財にし、集団のメンバーで消費または共有する
第二の特徴は、子供を共同で養育すること
ホモ属が完全な二足歩行を獲得したことで、出産が困難になり、その結果、ヒトの赤ちゃんは未熟なうちに生まれることになった
母親は子育てにより多くの労力を注ぎ込まなければならなくなり、仲間の誰かからの手助けがほとんど不可欠なものとなった
父親と母親の結びつきがより強くなり、やがて父親も育児をするようになった
閉経後の高齢女性(祖母)までもが娘の手助けをするようになり、他の拡大家族も同様だった
閉経する哺乳類はヒト(訳注: および一部のハクジラ類)だけ
ヒトは生態学で言うところの協同繁殖を行う唯一の類人猿になった
他の類人猿はすべて単独で子育てをし、そして典型的には出産間隔が非常に長いものとなっている
それに対して、協同繁殖をするヒトでは、伝統社会での出産間隔は2~3年で、農耕社会ならば毎年出産することも可能
第三の特徴は、社会脳
協力行動と協同繁殖とともに進化した
仲間の心の状態を理解し、仲間の苦痛に共感/同情を感じ、若者を支え教育し、仲間の行動を模倣するといった行動はすべて、ヒトの社会的な脳の特徴
これらの能力は間違いなく、ヒトの集団生活スタイルをより高いレベルに引き上げる力となっただろう
進化心理学の未来について
進化生物学が大学の教養過程と社会科学を席巻し始めたのと同時期に、神経科学と分子生物学はわれわれヒトとその本性についての広大で深い理解をもたらしつつあった
いずれ進化心理学は認知神経科学と融合を果たすだろうと考えている
ヒトの行動と認知の生物学的基盤がより明らかになり、つまりはヒトという存在について、分子、遺伝子、神経、行動、認知、そして進化適応のすべてのレベルに置いて理解できるようになるだろう
多層的な研究が期待されるフロンティアの一つは色覚
ヒトの本性の完全な理解のため、研究の進展が期待される分野としては、社会的認知、パーソナリティ、そして精神障害が挙げられる
心理学を学ぶ学生へのアドバイス
日本は自然生息地における霊長類研究の長い歴史を持っている
それゆえヒトの生物学的基盤に進化からアプローチすることは、社会から容易に受け入れられてきた
日本人間行動進化学会には2011年現在、100名ほどの空き員がいる
アジアの一員として中国や他のアジアの国々の仲間と意見交換が進むことを希望する